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【社員第1号インタビュー】ただ音楽が好きだった。趣味で続けたレーベルが世界に届き、グリッジの社員第1号になるまで。

5 日前
読了時間: 14分

今回は、グリッジの社員第1号である小笠原大さんに話を伺いました。


中学生でバンドを組んで以来、音楽を軸に生きてきた小笠原さん。大切にしてきたのは、うまくなることでも有名になることでもなく、「いかに嫌いにならずに、長く音楽と付き合っていけるか」ということでした。


バンドを続ける時間を確保するために選んだのが、音楽業界ではない仕事でした。大学卒業後は大手メーカーの営業、その後はアパレルの販売職に就きます。そして2012年からは趣味の延長として、個人レーベルを立ち上げ、日本ではほとんど忘れられかけていた「インディーポップ」というジャンルのアーティストを、インターネットで無料公開し続けてきました。


その活動が海外の音楽メディアに取り上げられ、やがて一通のDMが届きます。送り主は、まだ2人しかいなかった頃のグリッジでした。


何も始まっていなかった会社に飛び込み、事業が形になるまでの試行錯誤を最も近くで見てきた小笠原さんに、これまでの歩みと、これからのグリッジについて話してもらいました。



目次

  • 中学2年で初めて組んだバンド。音楽が人生の中心に。

  • プロも音楽業界も目指さなかった。ただ、音楽を楽しんでいたかった。

  • 個人で始めたレーベルが、世界的な音楽メディアに取り上げられるまで。

  • 一通のDMと、まだ何者でもなかったグリッジの創業メンバーたち。

  • スピード感を持って試して、ダメだと判断したらすぐにやめる。

  • 自分の想像できない場所まで行ける。そう思える会社。

  • 日の当たらない場所で好きを続けている人こそ、可能性の塊だと思う。



中学2年で初めて組んだバンド。音楽が人生の中心に。


▍まず、音楽を好きになったきっかけから教えてください。


幼少の頃から音楽は好きでした。


幼稚園から小学校の低学年くらいまでは、アニメや特撮の音楽が好きで。


当時はレコードの時代なので、家のレコードプレイヤーで自分の好きな音楽を延々と聴いていました。


「自分は音楽が好きなんだな」と自覚したのは小学校の頃ですね。


▍自覚するきっかけになった出来事があったんですか?


小学校の中学年くらいの時に、ゴダイゴというバンドを聴いたんです。


日本のバンドなんですけど、当時としては珍しく英語で歌っている曲もありました。


子どもの感覚からしてもすごく新鮮だったんですよね。「日本人が英語で歌ってる。しかも曲がめちゃくちゃいい」と。


代表曲でいうと『銀河鉄道999』ですね。あれで衝撃を受けて、一気に好きになりました。


▍当時は音楽番組も盛んな時代でしたよね。


そうなんです。


昭和50年代って音楽番組がすごく盛んで、『ザ・ベストテン』のようなランキング番組があって、少し後になると洋楽を紹介する『ベストヒットUSA』もあって。

とにかくいろんな音楽番組があったので、ずっと見ていました。


そして、小学校の高学年の頃にYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が出てきたんですよね。坂本龍一さんたちのバンドです。


あっという間に有名になって、自分も当然のように好きになり、中学2年の頃にはコピーバンドを組みました。


その頃には、もう完全に音楽がメインの人間になっていました。



プロも音楽業界も目指さなかった。ただ、音楽を楽しんでいたかった。


▍バンドを始めるタイミングがかなり早いですね。高校・大学でもバンドは継続されていたのですか?


そうですね。


高校、大学だけでなく、就職してからもバンド活動は続けていました。


▍就職活動の時は、音楽業界を目指されたのですか?


音楽業界は全く見ていなかったです。


むしろ「バンドをやっていくには、音楽業界だと難しいな」と思っていました。


当時の業界の人たちの動きを見ていると、かなり忙しそうで。


「バンドをやっている余裕はないだろう」と当時は考えていました。


▍プロを目指されていた、ということですか?


実は全くそういう考えはなかったんです。


大学時代にそういうお誘いを受けたこともあったんですけど、あまり興味がなくて。


それよりも「好きなこととして、長く音楽と付き合っていくこと」が、自分にとっては大切だったんです。


「プロになるために音楽をやってるわけじゃない」という感覚が、ずっと自分の中にありました。


▍なるほど。大学卒業後はどんなお仕事をされていたんですか?


1992年に大学を卒業して、最初は大手メーカーへのBtoBの営業をやっていました。複合機に使われる基板を扱う仕事です。


ただ、営業は性格的に向いていないなと感じて、2年で辞めました。


そこからはアパレル業界に転職して、店舗での販売職に就きました。副店長や店長もやっていましたね。


服が好きだったことはもちろんですが、アパレルの方が平日に休めたりして、バンドをやる上でスケジュールをコントロールしやすかったんです。



▍そのバンドは、いつまで続けられたんですか?


95年くらいまでですね。


当時、インディーポップというジャンルが日本で盛り上がっていた時期だったんです。70年代の終わりにパンクロックが流行り、その次の世代の音楽です。


パンクに憧れつつも同じことはできない、ロックなのかポップなのか分からないような音を、インディペンデントに出していたイギリスのシーンですね。


日本では90年代の初めに、フリッパーズ・ギターのようなバンドがそういう音をモチーフにしていて、いわゆる渋谷系の中心的な存在になっていました。


その勢いもあってインディーポップが国内で盛り上がったんです。


自分もその流れの中にいたので、集客も含めてバンド自体はわりと順調で、ライブで赤字になるようなことは一度もありませんでした。


▍それでも辞められたんですね。


人に注目されたり、いろんな人と喋らなきゃいけなかったりというのが、あまり自分に向いていなかったんですよね(笑)


それで少し疲れちゃいまして。


いろいろなお誘いをもらうこともあったんですけど、音楽と距離を置きたくなって、辞めてしまいました。


▍音楽が嫌いになったわけではなく。


嫌いになったわけではないんです。


「距離を置きたかった」という言葉の方が正確ですね。


「いつかまた音楽に携わりたいな」という気持ちはありました。



個人で始めたレーベルが、世界的な音楽メディアに取り上げられるまで。


▍95年にバンドを辞めて、次に音楽に関わるようになったのはいつだったのですか?


2012年ですね。


レーベルのようなものを個人で始めました。


きっかけは、SoundCloudというサービスでした。


誰もが自由に音声や音楽を無料でアップできるサイトなんですけど、それを聴いていたら、日本のアーティストがインディーポップの音源を上げているのを見つけたんです。


自分がやっていた頃のインディーポップは、90年代をピークに、日本ではどんどん下火になっていったんですね。


2000年代後半から2010年代の頭には、ほとんど話題を聞かなくなっていて。一方で海外では、逆にリバイバルの動きが少しずつ出てきていた時期でした。


そんな中で「盛り下がっているシーンなのに、日本でこういう音をやっている人たちがいるんだ」という発見をして、面白いなと思ったんですけど、メディアも大して触れている形跡がなくて。


それで、自分で何かできないかなと考えたんです。


▍具体的にはどんな活動をされていたんですか?


いろんなアーティストを取りまとめて、ジャケ写のようなものを作って、インターネットで公開する。フリーダウンロードという形態ですね。


当時はまだサブスクが普及していなくて、iTunesの有料ダウンロードが主流だったのですが、ネットに上げる形であれば、ほとんどコストがかからないので、無料でもできちゃうんですよね。


もちろん、収益は全く発生しないので、完全に趣味としてやっていました。


なので、厳密にはレーベルではないんですけど、説明するのが難しいのでレーベルと表現していました。


世間からしたら、よく分からない活動だったと思いますよ(笑)


ただ、この活動は海外でも知られるようになりました。


▍どういうきっかけがあったんですか?


「Pitchfork」という、かなり影響力のある海外の音楽メディアがあるんですけど、そこで取り上げてもらったんです。


紹介していたアーティストの中からメジャーで活動していくバンドも出てきて、「メジャーへの踏み台をつくった」というような評価をしてもらえたんです。


それは素直に嬉しかったですね。


それがきっかけで、音楽の界隈では海外の人からも認知してもらえるようになりました。



一通のDMと、まだ何者でもなかったグリッジの創業メンバーたち。


▍どういった経緯でグリッジとは出会うのですか?


2018年に、柚木がその活動を知っていたみたいで、SNSでDMが来たんです。


「音楽についていろいろお聞きしたい」という連絡でした。


そこから、当時渋谷にあったオフィスに顔を出すようになり、籔井、柚木と3人で音楽の話をするようになりました。


▍当時のグリッジは、どういった状況だったのでしょうか?


まだ会社を始めたばかりで、籔井と柚木の2人しかいませんでした。


事業として何をやるかも、かなり漠然とした状態だったと記憶しています。


ただ、その中でも「アーティストを支援したい」「アーティストのための業態を築き上げたい」という思いは、明確にありました。


当時やろうとしていたのは、イラストレーターのイラストに音楽をつけてYouTubeで公開するといったようなサービスでした。


どういう音楽をつけたらいいか、といったところで相談を受けていました。



▍2019年に社員第1号としてジョインされていますが、決め手は何だったのでしょうか。


一つは、自分がやっていたレーベルの経験が大きかったかもしれません。


さっきも話した通り、自分の活動は世間からしたらよく分からない活動なんですよ。


でも、一見無駄に見えるようなことであっても、信念を持ってやっていれば、世界的なメディアに取り上げられたりする。


分かっている人が見れば認めてもらえる実績を作ることはできる。それがなんとなく、自分の中にあったんですね。


同じことが、グリッジでならビジネスとしてできるんじゃないかなと思えたんです。


最初は誰にも相手にされなくても、ちゃんと信念を持ってやっていけば、見ている人は絶対に見ている。


そこに似たような部分を感じたというか。ゼロから始めることの面白さ、というところですね。


▍創業メンバーの2人のどういった考えや行動から、そういう思いになれたのでしょうか?


普通、仕事って「やること」が先にあるじゃないですか。


でも当時は、まだ仕事がない状態だったんですよ。


そういう中で、仕事を「自分たちで作る」という動きをされていて。


そんな人たちには、それまで会ったことがなかったので、すごく衝撃を受けました。


普通の人と明らかに違ったので「この人たちと一緒に仕事が出来たら面白いだろうな」と思ったんです。



スピード感を持って試して、ダメだと判断したらすぐにやめる。


▍入社されたタイミングは、どういったフェーズだったのですか?


いろいろな事業を試して、どういったものが事業として成立するのかを模索している時期でした。


最初に取り組んだのは、先ほどお話ししたイラストレーターとアーティストのコラボコンテンツをYouTubeで配信するという企画です。


協力してくれるアーティストを開拓するために、ひたすらメールやDMでアタックしていましたね。


ただ、これは全然うまくいかなかったんです。


▍うまくいかなかった後は、どうされたんですか?


次に始めたのが、ローファイヒップホップの24時間配信のYouTubeチャンネルです。


この時も、配信に参加してくれるアーティストをひたすら開拓し続ける日々でした。


いろいろなメディアなどからアーティストを探して、ひたすらアタックしていました。


1年くらい続けて、チャンネル登録者数はゼロから5万人くらいまでいきました。


ただ、収益の波がかなり激しく、事業として安定的に収益を上げていくのは難しいだろう、ということで、このサービスもやめることになりました。


▍その次は、何に取り組まれたのですか?


レーベルですね。


自分がレーベルをやっていた経験があったので、「レーベルをやってみませんか」という話になったんです。


個人でやっていた頃に関わりのあったアーティストが何名かいたので、その方々に声をかけさせてもらいました。


▍どういったアーティストだったんですか?


例えば、evening cinemaというアーティストです。


本人とも話をして「一緒にやっていきましょう」ということになり、レーベル事業がスタートしました。


そして、2020年にevening cinemaがTikTok流行語大賞のミュージック部門賞を受賞しました。


※正確には、cinnamons × evening cinema の楽曲「summertime」が「#君の虜に」として、TikTok流行語大賞2020のミュージック部門賞を受賞しています。



▍今のグローバル展開の事業には、どうつながっていったんですか?


賞をいただいた後に、コロナ禍に起きたこの「君の虜に現象」で籔井がMusic Allyなどのイベントで登壇する機会が増えたことが大きいです。


そういった場に来られる方々は、レコード会社の方をはじめとした業界の関係者の方になりますが、そこからグローバル展開に関する相談をいただくようになったんです。


レーベル事業もなかなか安定的な収益を得ることが難しかったこともあり、今の事業であるグローバル展開支援を軸にしていくことになりました。



自分の想像できない場所まで行ける。そう思える会社。


▍今、グリッジではどんな業務を担当されているんですか?


かなり幅広くいろいろな業務を担当しています。


採用周りが結構な時間を占めていますが、それ以外にもいろいろありますね。


▍例えば、どういったことをされているんですか?


今でもいくつか新しいサービスを試しているのですが、その中で、クリエイターの方や海外のレコードショップの方などとやり取りをすることもあります。


また、韓国の方々にJ-POPを紹介するメディアを運用しているのですが、アーティストのプロフィールや歌い方の特徴を解説するコンテンツ文章を作成したりもしています。


事業を運営していく上で必要な細かいことが沢山あるのですが、そういったことをまるっと担当しているような形です。


▍今後、グリッジで実現したいことや、展望はありますか?


実は、具体的に「これをやりたい」というものは明確にはないんです。


というのも、自分が思いつく範囲を超えたところまで行ける会社だと思っているからです。


自分の想像できない場所まで行ける。


それくらい可能性のある会社だと思っています。


▍その「可能性」を感じさせるものは、どこから来ているんでしょうか?


スピード感と、ダメだと思ったら捨てるという意思決定ができることだと思います。


YouTubeに関する事業もレーベル事業も、スピード感を持って試して、ダメだと思ったら次のチャレンジをする。


そういったことを繰り返した結果として、今の事業があります。


あとは、海外メンバーがいることも大きく関係しています。


10カ国以上の海外メンバーがいますが、彼ら彼女らが持っている一次情報やそこから生まれるアイデアは、当然ではありますが、自分の想像の範疇を超えたものばかりです。


そういったメンバーが仲間にいるからこそ、自分が想像できる以上の、とても大きな可能性がグリッジにはあると感じています。



日の当たらない場所で好きを続けている人こそ、可能性の塊だと思う。


▍最後に、どんな方と一緒に働きたいですか?


面接を通していろんな方にお会いしてきましたが、「日の当たらない人」と一緒に働きたいなと思っています。


この言葉だけだと誤解されるかもしれませんが、「自分の好きなことがあって、それに打ち込んでいる人」ということです。


好きでやっていることなので、その時点では社会的には評価されておらず、経歴などは決して華やかではなかったりするのですが、話してみると可能性の塊だったりするんです。


世間からしたら「へー、そんなこともしているんだ」で終わってしまうことかもしれませんが、行くところに行けば、すごく輝けたりする。


例えば、グリッジで言うと、推し活とか、ファン垢の運用とかをしている人はすごく輝けます。


▍なぜそういう方が、グリッジに合うと思われるんですか?


日が当たらない所で何かを継続しているということは、日常の中ですごく泥臭いことをやっているということだと思うんです。


人がやりたがらないようなことも、日々淡々とやっている。


それが蓄積すると、すごい爆発力があると思うんです。


継続力とか、忍耐力とか、改善していく力とか。


日々悩んで、それをどう改善していくかをまた悩んで、ぐるぐる繰り返している人たちですから。


そういう人がグリッジでは活躍できると思いますし、そういう姿を見ると自分自身もとても嬉しいです。


▍最後に、そういった方にメッセージをお願いします。


結局、自分が1人でやっていたレーベルも「推し活」なんですよね。


なので、こういった「好きで続けていること」が仕事になるということを知ってもらいたいです。


そして、面談などでお会いした際には、是非皆さんが好きで続けてきたことを聞かせてほしいなと思います。





いかがでしたでしょうか?


「いかに嫌いにならずに、長く音楽と付き合っていけるか」——中学生でバンドを組んでから40年以上、小笠原さんが大切にしてきたのは、その一点でした。


好きだから続けていただけの活動が、いつのまにか海外のメディアに届き、まだ何者でもなかった会社の社員第1号という道につながっていきました。


小笠原さんのインタビューを通して、


「追求してきた好きなことを活かして、仕事をしていきたい」

「音楽×グローバルという大きな可能性を秘めた領域で仕事をしていきたい」


そう感じた方は、ぜひお気軽にエントリーいただければと思います。


業務委託・正社員・学生インターン、様々な形で仲間を募集しております。


経歴の華やかさよりも、何かを好きで続けてきた時間を大切にしたいと考えていますので、少しでも気になった方はお気軽にご連絡ください。

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